東海オンエア・虫眼鏡、教員時代に校長にYouTubeを辞めるか迫られたエピソードを語る
2日、「東海オンエア」(登録者数707万人)の虫眼鏡が、「相馬トランジスタ」(同76万人)とのコラボ動画の中で、小学校の教員時代を振り返りました。
教員を辞めた経緯
この日、虫眼鏡の家に、相方のカルビとともに突撃した相馬。虫眼鏡とは初コラボであることを明かしつつ、早速、部屋の中へ。出会ってすでに8年という2人ですが、久しぶりの再会ということもあってか、敬語でやり取りします。
話題は、東海オンエアの活動当初について。当時、てつやとしばゆーの2人が中心となって動いていました、虫眼鏡も最初は、彼らのもとに暇なときに遊びに行く程度だったといいます。2015年、教員として、地元・岡崎の公立小学校に赴任。学校とてつやの一人暮らしの家が近かったこともあり、勤務後は自分の家に帰らず、彼の家に居候させてもらっていたそうです。そしてサブチャンネルの編集にも携わるようになり、本格的に東海オンエアのメンバーとして参画していくようになります。
もともと教職は仕事として好きだったという虫眼鏡。「簡単に言うとバレちゃったんですよ、その学校の先生に」と、学校にYouTube活動が明るみになったと回顧。国語の授業を教えているとき、校内アナウンスで「校長室へ来てください」と呼び出されたそう。生徒には「お客さんが来ちゃったみたい」と説明して授業を中断。校長室へ行くと、「(教員とYouTube)どっちをやるか選べ」と迫られたといいます。
人生と深く向き合ったキッカケは白血病
校長に二者択一を突き付けられた虫眼鏡。「そこで平和な人生を送ることも多分出来ただろう」としながら、その頃、遊んでいるだけなのにお金がもらえるYouTubeの楽しさを実感していた時期だったといいます。「どっちの人生が面白いかな?ってなったときにYouTuberだなと思った」と回顧。あっさりと教員を辞めたそうです。
さらに虫眼鏡は「1回死にかけてる話してましたっけ?」と切り出し、小学校6年生から中学1年生のころまで1年半、白血病で入院していたと述懐。医師からは「余命半年」と宣告されていたそうです。入ったのは4人部屋で、同世代の子どもたちと一緒に闘病生活を送っていましたが、虫眼鏡以外全員、残念ながら他界。その実体験から自分の人生が“儲けもん”と考えるようになった彼は「細々と長生きするよりは、ドカーン! と死んでもいいやというメンタリズムもあったのかな」と、教員を辞めたころの自分を振り返ました。
校長に選択を迫られたときは内心、教員としてもきちんと働いているのに、どうしてYouTubeをやってはいけないのか、また児童にも影響があるわけでもないし、と反発したい気持ちもあったようです。ただ今は大人になり、「まあイヤか…」と、校長の考えもある程度理解できるようになったと話していました。
なお、この経緯の一端は6年前、2018年に公開された東海オンエアの動画でも語っています。










