83歳のYouTuber「でん爺」、戦後北朝鮮からの引き揚げ話を語る
ソ連兵により
5月29日、「【北朝鮮での話③最終話】ソ連軍との付き合い、脱出」を公開。
収容所には夜になるとたびたびソ連兵が訪れたそうですが、彼らの目的は「女探し」でした。
ソ連兵の性的暴行から日本人女性を守るため、女性を隠したり、髪を短く切らせたり顔に墨を塗らせたりしたそう。
それでも暴行を受けてしまい、自ら命を絶った女性もいたようです。
一方でソ連兵は当時小学生だったでん爺含め、日本人の子どもをかわいがったそうです。
「一緒に写真を撮ろう」ということで、朝鮮人が経営している写真館に行って写真を撮ってもらったことがあります。その兵隊の横に並んでね。
まあ「なぜロシア兵がそういったことをしたのかな?」なんてまあそのあと色々と話ししたものですけども(中略)自分の子供が同じくらいで、それを偲んで懐かしく思ってやってくれたのかとかですね。
あるいは将来この日本の子どもが大きくなったときに、ロシア兵に対して悪い印象を持ったらいけないというつもりでやったのか、とかですね。
まあいろんな憶測が飛んでいました。
栄養失調で亡くなる人も
収容所で暮らしていたときはとにかく食べ物がなかったそうです。
唯一、コーリャン(イネ科の一種)という穀物を炊いて食べていたそうですが、栄養失調で亡くなる人も多かったとか。
当番制で死体を運び出していたそうです。
でん爺は死因のひとつとして「シラミ」を挙げました。
手で潰すのでは間に合わないほど体中に湧き、皮膚を刺していたそうです。
こういう(服の)シワになっているところにいっぱいわくんだな。
これでもう体のあっちこっちに頭を突っ込んでね、引っ張り出して潰す、そんなんでは間に合わないからいうんで、ドラム缶にね、湯を炊いてそこで服を入れて煮沸して、いうようなことをやってしらみつぶしをやってました。
その後、日本人団体の計画でアメリカの占領地域に行くことになり、でん爺は38度線を南に越えました。
アメリカ兵にDDT(殺虫剤)やBCG(ワクチン)などの治療を施され、「これが痛かった」と話しています。
しばらくアメリカ占領地で過ごした後、でん爺は船で日本に帰ることになります。
感謝のコメント多数
3本の動画に渡り、北朝鮮での生活から帰国までを話したでん爺。
実際に壮絶な体験もしてきた、まあそれもよく分かっておりますが、私もその中の一部として皆さんにお伝えてきたのではないかなぁと思っております。
長々とご清聴ありがとうございました。
と締め、動画を終えました。
コメント欄には
ほんとに大変だったんだな…
生まれる前に亡くなったお爺ちゃんも満州生まれだったらしくてこんな苦労してたのかなーって思いました😭
貴重なお話ありがとうございました!
当時の兵隊さんはもう90過ぎ。
当時の目撃者の子供たちはもう80過ぎ。
語り部が減ってますのでこのような動画は本当に貴重だと思います。
今の若い子は、おじいちゃんおばあちゃんも戦後世代だったりしますしね。
今年で戦後75年、当時のことを知る語り部も少なくなっていることもあり、でん爺の話に心を打たれた視聴者からの感謝のコメントが多く寄せられています。









