中町兄妹の兄・中町JP、再出発の決意 半生を振り返り、涙ながらに「中町綾をこれからも愛してほしい」と呼びかける
3月5日、「中町兄妹」(登録者数168万人)の兄「中町JP」(登録者数65万人)が個人チャンネルで「それでも僕は幸せです。」と題する動画を公開しました。
不適切発言で炎上
中町兄妹は、2月2日に公開した動画内で埼玉県八潮市の道路陥没事故について笑いながら言及。これに対し、視聴者からは「不謹慎すぎる」といった批判の声が続出して炎上しました。2人は問題の動画を非公開にすると、2月9日に謝罪動画を公開。その後3月4日にも再び謝罪動画を公開しました。
炎上後、チャンネル登録者数は4万人減少。中町綾はピーチ・ジョンのモデル起用が取りやめになり、『東京ガールズコレクション 2025 SPRING/SUMMER』も出演を見合わせ。『CanCam』の専属モデルも降板するなど大きな影響が出ています。
兄の中町JPは3月5日に個人チャンネルを更新し、1人で動画に出演。冒頭で「改めて今回の件で不快にさせてしまった全ての方々、本当に申し訳ありませんでした」と謝罪しました。反省の弁を述べつつ、それでも自身は「幸せ」だというJP。その理由について、自身の半生を振り返りながら語ります。
幼少期を振り返る
1998年に生まれのJPは、小学1年生のときに親の仕事の都合で中国に引っ越しました。小学5年生で帰国すると、学校一の問題児と親友になったのだとか。しかしこの親友は、けんかにサバイバルナイフを持ち出したり、テスト中に立ち歩いたりするなど、あまりの問題児であったため転校させられてしまったそうです。
それを機に、ほかに親しい友達がいなかったJPは「あんまり仲いい人がいない目立つやつ、調子乗ってるやつ」になり、いじめとまではいかないものの、同級生に無視されるなどの扱いを受けるようになったとそう。しかし、通っていたサッカークラブではこれまで通りの自分でいられたため、今いる環境が全てではないと気づいたといい、「つまりどこに目を向けるかで幸せにも不幸にもなれるんだよね」「小さい幸せ、小さい感謝を本当に見つけて生きてってほしい。当たり前のことがどれだけ当たり前じゃないかってことを気づくのが人生だと思う」と呼びかけます。
学生時代
中学校では、転校させられた親友とも再会したJP。お笑いが共通の趣味であったことから、中学3年生のときにお笑いコンビ「デミチェリス」を結成し、漫才を披露していたほか、芸能事務所へ応募したり、YouTubeへネタ動画を投稿したりもしていたのだとか。人を笑わせるのが好きになったというJPですが、高校進学を前に相方に子どもができ、相方は家族を養うために中卒で働くことに。JPは高校に進学したかったため、デミチェリスはそこで解散したそうです。
高校進学後も、どこに投稿するわけでもなく動画を撮影するのを趣味にしていたというJP。入学して初めて自分の教室に入ったときも動画を撮影していたといいますが、周りから浮いてしまい、高校1年生の間は友達ができなかったのだとか。しかし、このときも地元には友達がいたため、一度も「友達できない、嫌だな」と思わなかったと振り返ります。
その後、6秒までの動画を投稿できる動画共有サービス「Vine」がスタートし、JPはここに動画を投稿するのに夢中になったとのこと。このとき、同じ高校の1学年上の先輩に、Vineのフォロワー数が日本1位で「Vineの女王」とも呼ばれた「大関れいか」(同55万人)がおり、文化祭などにファンが押し寄せる様子を見て、夢が芸人から「人に面白いって思われて有名になりたい」へと変化したといいます。
高校2年生の頃には友達づくりに本気になり、全員と仲良くなったというJP。先輩に目を付けられ、ボコボコにされるといったこともあったそうですが、3年生のときに映画『ビリギャル』に影響され、先輩を勉強で見返すことにしたのだとか。受験のシーズンになると、中卒で現場で働いている友達と将来一緒に仕事をするために、建築学科への進学を決意。携帯電話や大好きな地元の友達との遊びも封印し、塾を3つ掛け持ちするなどかなり努力したといいます。孤独だったうえに、成績もなかなか伸びずつらかったものの、塾での勉強仲間の存在や、本気で頑張っている自分を好きになれたため、ここでもJPは「幸せ」だったといいます。
動画投稿者時代
志望していた大学ではなかったものの、建築学科に入れたというJP。大学ではTwitter(現X)に動画を投稿し、徐々に反応が増えていくことが快感だったそう。フォロワーが1万人ほどになった頃、「Repezen Foxx」(同393万人)の「DJ社長」(同93万人)から連絡があり、レペゼンメンバーとつるむようになったといいます。JPは有名になるために、レペゼンから誘われた飲み会は絶対に断らなかったそうで、課題やテスト勉強をしながら参加したり、始発で授業に行ったりすることも多かったのだとか。
レペゼンの撮影は、ゴキブリやムカデを食べたり、メンバーの尿を飲んだりと、過酷だったそうですが、「ヒカル」(同494万人)や「ヒカキン」(同1900万人)とのコラボでカメラマンを務めるなど、貴重な経験も多くさせてもらえたと感謝します。

大学卒業後は起業したそうですが、有名になりたいという夢が捨てきれなかったというJP。DJ社長にアドバイスを求めると、兄妹で動画を投稿することを勧められ、妹の綾を説得してチャンネルを開設し今に至ります。
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