オレたちのプロレスと格闘技の考察

オレたちのプロレスと格闘技の考察

【ガチでやりたいです!】藤原組内紛からパンクラス旗揚げなぜ藤原と船木・鈴木は袂を分かつことになったのか? #猪木 #長州力 #前田日明 #タイガーマスク #プロレス

動画タイプ
一般
公開日時
2026年5月23日 10:00
再生回数
6634
高評価数
176
コメント数
-
エンゲージメント率
2.7%
データ確認日時
2026年5月27日 05:52

動画概要

UWFという存在は、単なるプロレス団体ではなかった。既存のプロレスの枠組みを壊し、よりリアルな格闘技へと接近しようとする“運動体”であった。その流れは1993年のパンクラス旗揚げによって、一つの到達点を迎えることになる。そこには「完全実力主義」という理念が掲げられ、従来のプロレスとは一線を画す純然たる格闘技としての闘いが展開された。しかし、その誕生の裏側には、理想と現実との葛藤があったのである。
選手会主体で再発足した第2次UWFであったが、経営方針を巡って所属選手とフロントが対立。1990年12月1日、松本運動公園体育館での大会を最後に第2次UWFは幕を閉じた。大会後、選手たちの万歳三唱を受けた神新二社長が全選手を解雇し1991年1月、団体は解散。本来であれば前田日明を中心に新体制が構築されるはずであったが、前田の自宅で行われた話し合いは決裂。結果として選手たちは“前田抜き”で新たな道を模索することになる。
この混乱の中で、船木誠勝と鈴木みのるは師である藤原喜明のもとを訪れる。当初は宮戸優光を中心とした若手主体の新団体構想が存在していたが、資金面の不安や自身がエースを担うことへの迷いから、船木はより安定した道を選択する。それが、メガネスーパーのバックアップを受ける藤原組への参加であった。結果としてUWFの流れは、UWFインターナショナルと藤原組という二つの系譜に分かれていくことになる。
藤原自身は当初、積極的に団体を率いる意思を持っていたわけではなかった。そのため第2次UWF解散後は個人としてSWSへの移籍も考えていた。しかし、メガネスーパーの田中八郎社長からは「新団体を作るから船木と鈴木みのるを引っ張りなさい」と条件を出されていた。田中社長からの打診を受け、さらに船木と鈴木が自ら門を叩いたことで状況は動く。こうして藤原組は発足し、分裂後のU系3団体の中で最も早い、1991年3月4日に後楽園ホールにて旗揚げ戦を行うに至った。

#猪木 #長州力 #前田日明 #タイガーマスク #プロレス
【ガチでやりたいです!】藤原組内紛からパンクラス旗揚げなぜ藤原と船木・鈴木は袂を分かつことになったのか? #猪木 #長州力 #前田日明 #タイガーマスク #プロレス