オレたちのプロレスと格闘技の考察

オレたちのプロレスと格闘技の考察

【新事実!】アントニオ猪木の舌出し失神事件藤原喜明がすぐに芝居とわかった理由とは? #猪木 #長州力 #前田日明 #タイガーマスク #プロレス

動画タイプ
一般
公開日時
2026年4月25日 10:00
動画長さ
10:58
再生回数
1万7476回
高評価数
249
コメント数
-
エンゲージメント率
1.4%
データ確認日時
2026年5月1日 17:36

動画概要

1980年代に突入した新日本プロレスは、かつてない黄金期を迎えていた。1981年4月23日、蔵前国技館で誕生したタイガーマスクは爆発的な人気を獲得し、同時期にはアントニオ猪木が崩壊した国際プロレス勢、いわゆる“はぐれ国際軍”との抗争を展開。さらに1982年には長州力が藤波辰巳に反旗を翻し、両者の対決は「名勝負数え唄」と呼ばれる看板カードへと成長した。こうした日本人同士のドラマ性の高いカードがファンの心をつかみ、会場は連日の超満員。年間200試合以上がほぼ満員という異常な盛況ぶりを見せ、テレビ朝日の『ワールドプロレスリング』も視聴率20%超えを連発するなど、新日本はまさに絶頂期にあった。
しかし、その熱狂の渦中にあっても周囲の空気に流されることはなく、我が道を行く者がいた。藤原喜明である。1949年に岩手県江釣子村(現北上市)に生まれた藤原は、地元の工業高校を卒業後、埼玉県川越市の小松インターナショナルの工員を経てコックに転職。そのコック時代に元プロレスラーの金子武雄が主宰する横浜スカイジムに通い、そこで吉原功と知り合い国際プロレスへの入門を勧められたが、国際プロレス、全日本プロレス、新日本プロレスを比較した結果「選手数が少なく皆、背が低く弱そうだから」という理由で新日本プロレス入りを決める。藤原は「会場にお客さんがたくさん来てくれていることは感じてたよ。だけど、俺はお客さんがいようといまいと、リングの上で自分の仕事をやるだけ。だから、別に気持ちは変わらなかった。練習ができて、試合が終われば、美味い酒を飲む。それしか興味はなかったよ」
この職人気質ともいえる姿勢こそが、後に語られる“ある事件”を冷静に見抜く視点につながっていく。

#猪木 #長州力 #前田日明 #タイガーマスク #プロレス
【新事実!】アントニオ猪木の舌出し失神事件藤原喜明がすぐに芝居とわかった理由とは? #猪木 #長州力 #前田日明 #タイガーマスク #プロレス