おかむら村長の昭和野球塾

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【リッチー・シェインブラム 広島】ロイヤルズで三割を打ちMLBオールスターに出場。シェーンの登録名で32歳で来日。ホプキンスと共に赤ヘル初優勝を支えたスイッチヒッター。2年連続で1試合左右両打席弾も。

動画タイプ
一般
公開日時
2026年5月18日 21:01
再生回数
2938
高評価数
90
コメント数
-
エンゲージメント率
3.1%
データ確認日時
2026年5月24日 14:21

動画概要

シェーン選手は、アメリカ出身のスイッチヒッターで、本名はリッチー・シェインブラム。登録名が長すぎたため、西部劇映画『シェーン』にちなんで「シェーン」という名前で広島入団となった。

1960年代から70年代にかけて、インディアンス、セネタース、ロイヤルズ、レッズ、エンゼルスなどメジャー複数球団を渡り歩き、メジャーでは巧打と選球眼を武器に活躍し、特に左投手にも強いスイッチヒッターとして知られていた。

そんなシェーン選手が広島東洋カープに入団したのは1975年。当時の広島は球団創設以来、一度もリーグ優勝を経験していない“万年Bクラス”のチームだった。山本浩二選手、衣笠祥雄選手ら主力に加え、外国人補強が成功。シェーン選手とホプキンス選手と助っ人勢が打線を大きく変えた。

シェーン選手は来日1年目から主力外野手として活躍。打率3割近い成績を残し、勝負強い打撃と高い出塁率で打線を支えた。特に印象的だったのは1975年5月17日の大洋戦で、日本プロ野球史上初となる「左右両打席本塁打」を記録したこと。当時としては極めて珍しいスイッチヒッターであり、広島ファンに強烈なインパクトを残した。

また、単なる助っ人スラッガーではなく、状況に応じて四球を選び、つなぐ打撃もできる職人的な打者だった点も特徴である。当時の広島打線は山本浩二選手や衣笠祥雄選手の長打力が注目されがちだったが、シェーン選手の存在によって打線全体の厚みが増した。さらに、スイッチヒッターとしての技術や打撃理論は、後に高橋慶彦選手や山崎隆造選手らにも影響を与えたとも言われている。

1975年、広島は球団史上初となるセ・リーグ優勝を達成。シェーン選手はその中心メンバーの一人として歴史に名を残した。派手な本塁打数を量産するタイプではなかったが、勝負どころでの一打や高い出塁能力でチームに貢献し、“初優勝を支えた名助っ人”として現在も語り継がれている。

翌1976年も広島でプレーしたが、前年以上の成績は残すも守備難で、この年限りで退団。しかし、わずか2年間の在籍ながら、広島初優勝の立役者として球団史に深く刻まれる存在となった。特に、広島ファンの間では「赤ヘル革命を支えた助っ人」の一人として評価が高い。

通算成績
MLB462試合 320安打 13本塁打 127打点 打率.263
NPB239試合 233安打 33本塁打 118打点 打率.295
【リッチー・シェインブラム 広島】ロイヤルズで三割を打ちMLBオールスターに出場。シェーンの登録名で32歳で来日。ホプキンスと共に赤ヘル初優勝を支えたスイッチヒッター。2年連続で1試合左右両打席弾も。