おかむら村長の昭和野球塾

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【リンド 巨人】メジャー実績はほとんどないが、ジョンソンの退団を受け内野強化を目的として獲得。守備では二塁だけでなく遊撃、三塁もこなし、ユーティリティー性を発揮もレギュラー定着とはいかなかった

動画タイプ
一般
公開日時
2026年5月27日 21:00
再生回数
1万6852回
高評価数
157
コメント数
-
エンゲージメント率
0.9%
データ確認日時
2026年6月2日 16:48

動画概要

1977年に読売ジャイアンツでプレーしたジャック・リンド選手は、短期間の在籍ながら“長嶋巨人初期の外国人野手”として知られる存在である。派手な実績を残したタイプではないが、内野の複数ポジションを守れる器用さを買われて来日し、当時の巨人再建期を支えた助っ人の一人だった。

リンドは1946年6月8日、アメリカ・コロラド州生まれ。アリゾナ州立大学を経て、1967年にMLBのヒューストン・アストロズ傘下へ入団した。以降は長くマイナーリーグで経験を積み、二塁・遊撃・三塁を守れるユーティリティー内野手として評価を受けるようになる。1974年にはミルウォーキー・ブルワーズでメジャーデビューを果たし、1975年までMLBでプレーしたが、出場機会は限られ、大きな結果を残すには至らなかった。

その後、1977年に巨人へ入団。当時の巨人は第一次長嶋政権の初期で、V9終了後のチーム再建を進めていた時期だった。前年まで在籍していたデービー・ジョンソンの退団を受け、内野強化を目的として獲得されたのがリンドだった。背番号は「5」。主に二塁手として期待され、来日当初はスタメン起用も多かった。

しかし、日本野球への適応には苦労した。来日直後はなかなかヒットが出ず、デビューから9打数無安打。それでも徐々に対応し、パンチ力のある打撃で本塁打を放つ場面も見せた。最終的には65試合に出場し、打率.237、9本塁打、23打点を記録。数字だけ見ると悪くない長打力だったが、打率の低さや安定感不足もあり、不動のレギュラーにはなれなかった。守備では二塁だけでなく遊撃、三塁もこなし、ユーティリティー性を発揮したものの、ポジション争いの中で徐々に出場機会を減らしていった。

また、当時のファンの間では「電車通勤する外国人選手」としても知られていた。外国人助っ人といえば高級車で球場入りするイメージが強かった時代に、後楽園球場へ電車で通っていたというエピソードは、どこか庶民的で親しみやすい人物像を感じさせる。派手なスターではなくとも、真面目で実直な助っ人だったことがうかがえる。

結局、1977年限りで退団。そのまま現役を引退したとされる。その後はアメリカ球界で指導者として活動し、マイナーリーグ監督なども歴任した。なお、息子のザック・リンドは、アメリカの人気ロックバンド「ジミー・イート・ワールド」のドラマーとして知られている。

巨人での在籍はわずか1年だったが、V9終了後の過渡期を支えた外国人選手として、リンドの存在は今なお“知る人ぞ知る助っ人”として語り継がれている。
【リンド 巨人】メジャー実績はほとんどないが、ジョンソンの退団を受け内野強化を目的として獲得。守備では二塁だけでなく遊撃、三塁もこなし、ユーティリティー性を発揮もレギュラー定着とはいかなかった