オレたちのプロレスと格闘技の考察

オレたちのプロレスと格闘技の考察

【前田日明やライガーとも殴り合った!】星野勘太郎のトンパチ伝説とは? #猪木 #長州力 #前田日明 #タイガーマスク #プロレス

動画タイプ
一般
公開日時
2025年10月25日 10:00
動画長さ
13:03
再生回数
9307
高評価数
278
コメント数
-
エンゲージメント率
3%
データ確認日時
2025年10月30日 18:42

動画概要

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1943年、終戦間際の神戸に生まれた少年は、やがて“トンパチ”の異名で呼ばれるプロレスラーとなる。
その名は――星野勘太郎。
当時、生まれ故郷の神戸は闇市がはびこり、物資を巡る争いが多発していた。統制力を失った神戸市警が山口組の三代目・田岡一雄組長に一日署長を頼むほど、街に暴力が渦巻く混乱期であった。子どもの喧嘩すら命がけだった時代に、星野は自然と腕っぷしを磨いていった。小学生にしてすでに高校生を相手に引けを取らず、中学では隣町の大将格を叩きのめして群れを散らす。早熟の喧嘩師として、少年時代から恐れられる存在となった。
高校時代はボクシングに打ち込み、卒業後にプロボクサーを目指しジムに入ろうとしたが、リーチの長さを理由に「向いていない」と言われ断念する。だが、星野は諦めなかった。闘いの世界に身を置くため、卒業後に自ら日本プロレスの門を叩く。星野からの直談判を受けた力道山は、即座に入門を許可。その瞬間から、身長170センチの小兵レスラーの伝説が幕を開ける。
1961年10月に日本プロレスに入門。同年12月22日、東京のリキ・スポーツパレスにおける駒厚秀戦でデビューする。
1967年1月には山本小鉄と共にアメリカ武者修行に挑戦。カリフォルニア州ロサンゼルスのWWAを皮切りに、小型でもパワフルであると評判だったヤマハの日本製オートバイにあやかった『ヤマハ・ブラザーズ』のチーム名のもと、テネシー州メンフェスを拠点とするNWAミッドアメリカを主戦場に活動した。テネシー州では観客に発砲されたり、ナイフで頭を刺されても、平然と控室まで歩き、抜いた瞬間に血が噴き上がるという逸話すら残る。
プロレス界での星野は、決して器用でも華やかでもなかった。しかし負けん気と胆力は誰よりも強かった。1986年1月14日、豊岡市体育館。新日本プロレスのリングで、前田日明と壮絶な殴り合いを演じる。ゴングが鳴ろうと構わず拳を振るい合い、観客の記憶に刻まれた大乱闘。その後、前田は語っている。「ガンガン向かってきたのは藤波さんと星野さんだけだった」と。

#猪木 #長州力 #前田日明 #タイガーマスク #プロレス
【前田日明やライガーとも殴り合った!】星野勘太郎のトンパチ伝説とは? #猪木 #長州力 #前田日明 #タイガーマスク #プロレス