Action Planetあくしょんプラネット

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14. 動画の歴史を語るならジョルジュ・メリエスを知ろう!

動画タイプ
一般
公開日時
2025年12月6日 07:01
動画長さ
10:23
再生回数
111
高評価数
3
コメント数
-
エンゲージメント率
2.7%
データ確認日時
2025年12月12日 22:11

動画概要

あなたが普段見ている動画はなんですか?映画?ドラマ?TikTok?ショート動画?それらの動画の生みの親と言っても過言ではない、ジョルジュ・メリエスという人物をご紹介していこうと思います。

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今回は動画にまつわる偉人伝ということで、ジョルジュ・メリエスをご紹介します。我々が普段目にしているCMとか映画とかSNSの投稿とか、トリック映像と言いますかどうなってるのこれ? っていう動画ってありますよね。

そんな動画を19世紀末1800年代ですよ、その時代に始めた人物こそジョルジュ・メリエス先生なんです。

一番有名なのは月世界旅行って言って、お月様に顔があってそこにロケットがブッ刺さる白黒映像って見たことないでしょうか。あれこそ、ジョルジュ・メリエス、略してジョルメリの作品です。この月世界旅行は1902年という100年以上前のものですが史上初のSF映画と言われてます。

まず当時の動画なんですけれども、舞台はフランス、リュミエール兄弟っていう映画の父と呼ばれたマリオブラザーズみたいな顔の二人がいるんですが、彼らが作っていた動画って工場から出てくる人を撮ってるだけとか。汽車がどんどんカメラに近づいてくる動画とか。そういうものを撮ってたんですね。

それでも人々は汽車がカメラに迫ったきた時に初めて見るもんだから、慌てて座っていた席から立ち上がって逃げようとしたという話もありますね。

あの、僕らもショート動画とか見てて野球ボールが急にカメラに飛んできた時にビクってなると思いますが、あれの初代です。

で、そんな感じで当時はありのままを映すというのが動画のあり方だったんですけども、このジョルメリ先生ことジョルジュメリエス先生は様々な映像ならではのトリック動画を作っていったんですね。

というのも彼の職業、実はマジシャンだったんです。つまり根っからのエンターテイナー。

人々を驚かせるのが好きだってことで、カット編集で人物が瞬間移動する動画を作ったり、多重露光って言ってフィルムに光を当てて幽霊のような演出をしたり、早回しやスロー再生なんかでコミカルな動きにしていたんですね。

我々動画クリエイターと呼ばれる人たちが何気に使ってるこの視覚効果、実はジョルメリ先生、ジョルジュ・メリエス先生が発明してたんですね。

こう話してみると興味が湧いてきませんかね?

私がジョルメリ先生が好きな理由が、動画ができた当初の役割が「実際のものをうつす記録」的な意味合いと、ジョルメリ先生みたいに「誰かを喜ばせるため」という意味合いがあったことですね。

私も友人がバスケをやってる動画を音楽に合わせて編集してみせた時に「おお!めっちゃいいな!」って喜んでもらえたりした時になんか楽しいぞ!と思った記憶があるので、この「動画を通して誰かを喜ばせたい」っていう気持ちと言いますか、ジョルメリ先生に感動していたりします。

確かジョルジュさんはですね、なんかの本で読んだんですが1日のルーティーンが決まっていて毎日撮影に取り組んでいて「この人めっちゃYouTuberやん」って思った記憶があります。実際に1896年から17年間で作った映画の数はなんと531本です。

これすごくないですか。当時は映像を作るのかなり時間かかるのにこの本数はすごいですよね。長さは1分から40分のものまでっていうところもYouTuberっぽいです。

現代のYouTuberもよく「すでに準備されたところですぐに撮影できることが続けるコツです」みたいに聞くんですけどもジョルメリ先生も負けてません。壁と天井はガラス張り。照明をつけなくても明るい部屋で撮影できるようにしてました。もちろん劇場も買収しております。

マジシャンてこともあり、おそらく撮影と劇場公演が同じようなものだったんですね。年間に50本以上作っていて、ジャンルもドラマからおとぎ話まで色々と試していたそうです。あとは広告も作っていたりするのでCM業界の皆さん、ジョルメリ先生をぜひ覚えて帰って欲しいですが、どこに帰るんだという話ですよね。

私も劇場にいる気分になっております。名前だけでも覚えてくださいと。

このジョルメリ先生、SF映画の父と言われていて映画もものすごい数を作ってはいるのですが、人生をトータルしてみるとしくじってることが結構あるんですね。

しくじりエピソード1つ目。著作権が無視されパクられ放題!

当時は映画界でブイブイ言わせていたエジソンに対抗できるくらいまでジョルメリ先生の映画はアメリカでも人気だったんですが、その際にエジソンからアメリカから出ていけーって感じで上映をされないように禁止されたんですね。ただ、ジョルメリ先生の名前は広まっているので、映画の海賊版とかがアメリカで広がっていってジョルメリ先生にお金が入らない!今もアニメとか無断でネットで見られてますが、この時も同じことがあったんですね。

続いてエピソード二つ目、こだわりのセット作りでお金が足りずに倒産!

ジョルメリ先生、職人気質でトリック映像とかセットとかも手作りでやっていたんですけども当然ながらお金がめっちゃかかるんですよね。一方、旅行系の映画を作る人とかは撮影して編集して出せば儲かる。

この効率よく映画を作るというのができなかったジョルメリ先生、借金が膨らんで倒産してしまいます。晩年は寒い駅の近くでおもちゃとか飴とかを売っていたそうです。

しくじりエピソードその3。もうヤケクソ!衣装もフィルムも燃やしてしまえ!

ということで全てを失ったジョルメリ先生、なんと劇場を取り壊し、衣装やフィルムも燃やしてしまったことで多くの作品が失われたそうです。

なんかめっちゃ気持ちわかりますけどね。私も頑張って編集して出した動画にちょっと心がグサっとくるコメントとかくると動画削除したりしたことありましたから。ただ、ジョルメリ先生はヤケクソ度合いも半端じゃない。

あなた、映画界のすごい人なのに、なんでフィルム燃やしちゃうの!って後世の人たちから総ツッコミ喰らいますよね。

とまあ、そんなフィルム燃やしのお茶目なジョルメリ先生なんですけども、その後の人生にいいこともありました。

何人かのジャーナリストがジョルメリ先生の業績なんかを調べてですね、1931年にレジオンドヌール勲章っていうナポレオンが作った、日本でいう紫綬褒章みたいなもんですかね。それを受賞するんですよね。

そして一日14時間、寒空の下、暑い日中働いていたジョルメリ先生は映画界から老人ホームとして部屋を提供されて満足したと言います。

なんかね、切ないですよね。そんなジョルメリ先生ですが、死ぬ前に友達に残した言葉があります。それが

「友よ笑え、私と笑ってくれ。私はあなたがたの夢を見たのだから」

だそうです。

死ぬその時まで誰かに笑って欲しかったというこのジョルメリ先生の生き様にあなたは何をみるでしょうか。

私は動画を作っていますが、果たして死ぬ時まで誰かに笑っていて欲しいと貫いて生きていられるか考えさせられました。そう考えると駅でおもちゃや飴を売っていたっていうのもなんとなくの想像ですが、子供達に少しマジックとかを披露しながら売ってたのかなとか考えちゃいますよね。

是非ともクリエイターの鏡として見ていただければと思います。

あの、月世界旅行とかね、ジョルジュ・メリエスの作品はネット上で視聴することができるので見て見てください。

それでは今回は以上です。

ここまで聞いてくださり本当にありがとうございます。

また次回お会いしましょう。
14. 動画の歴史を語るならジョルジュ・メリエスを知ろう!