オレたちのプロレスと格闘技の考察

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【新日本の屈辱的な扱い】それでもじっと我慢して仕事を全うしたラッシャー木村の人間性とは? #プロレス #猪木  #長州力 #前田日明

動画タイプ
一般
公開日時
2024年8月24日 10:00
動画長さ
22:55
再生回数
4万9395回
高評価数
826
コメント数
185
エンゲージメント率
2%
データ確認日時
2024年8月31日 05:17

動画概要

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「浜口も寺西も、落ち着くところに落ち着いてくれた。俺の役目も、終わったと思う」

新日本離脱直後に木村が上がったのはUWFだった。
第2次UWFとは違い、いわゆるUWFスタイル以外の選手も数多く参戦していた第1次UWFではあるが、それにしても佐山や前田や藤原たちとはファイトスタイルが対極にありそうな木村がなぜ参戦していたのか。それは、第1次UWFを作ったのが新間だったからだった。木村は、新日本参戦時にヒールとしてとことん自分を輝かせてくれた新間に強い恩義を感じていたのである。

その後、馬場に口説かれた木村は全日本に参戦することになるのだが、その時木村が気にしていたのは新日本のフロントとして残っていた元国際の社長である吉原のことだった。

国際は81年の崩壊の数年前から、金銭的には窮乏状態だった。それでも吉原は、エースの木村、いや、木村家に金を渡していた。ファイトマネーではなく、生活費として、木村を素通りし、まず木村の妻に渡すのだった。持ち物を売り、家を抵当に入れ、時には5万、時には10万……。そんな吉原に恩義を感じ、木村は国際のラストマッチまでリングに上がり続けた。そして新日本への参戦にあたって新日本から最初に得たいわゆる契約金は、全て吉原に渡したという。

しかし全日本に入団すれば自分は新日本の、いや、吉原元社長の敵になってしまう。すると、ある記者が意を決して木村に言った。「実は木村さん、吉原社長は、癌でもう余命長くないのです。今こそ、自分で道を決めるべきです」

全日本入りにあたり、木村はこう報道陣に告げた。
「初めて自分の意思で、団体を選びました」
大相撲も含めてそれまでの木村は、自分がお世話になった人への恩義を基準に各団体を渡り歩いてきた。そんな木村がようやく自分の意志で動いたのである。

吉原功は1985年6月10日、死去。その11日後、日本武道館のメインで馬場と一騎打ちする木村の背後には、鶴見五郎が振る、「国際血盟軍」の旗がはためいていた。

#プロレス #猪木  #長州力 #前田日明
【新日本の屈辱的な扱い】それでもじっと我慢して仕事を全うしたラッシャー木村の人間性とは? #プロレス #猪木  #長州力 #前田日明