オレたちのプロレスと格闘技の考察

オレたちのプロレスと格闘技の考察

【近くにいた...木戸修が語る不穏試合】 前田vsスーパータイガー 前田vsアンドレ 長州顔面蹴撃事件  #猪木 #長州力 #前田日明 #タイガーマスク #プロレス

動画タイプ
一般
公開日時
2026年6月6日 10:00
再生回数
6283
高評価数
158
コメント数
-
エンゲージメント率
2.5%
データ確認日時
2026年6月12日 13:48

動画概要

プロレスラー木戸修は、その派手さこそないものの、確かな技術と独自の美学で新日本プロレスを支え続けた“いぶし銀”のレスラーである。リング上では寡黙に闘い、リング外でも余計な主張をしない。その姿勢は現役時代から引退後まで一貫していた。
1950年2月2日、神奈川県川崎市に生まれた木戸は1968年10月に日本プロレスへ入門した。当時の日本プロレスにはいくつかの派閥が存在していたが、木戸は自然とアントニオ猪木のグループへ加わっていった。理由は単純で、猪木たちが誰よりも練習熱心だったからである。1969年2月に日本プロレスでデビューした木戸。だが日本プロレスが崩壊すると、多くのレスラーが進路選択を迫られた。ジャイアント馬場の全日本プロレスへ向かう者もいたが、木戸は迷わず猪木率いる新日本プロレスを選択した。ストロングスタイルを追求し、厳しい練習を積み上げる新日本の空気が、自分に合っていたのである。その後、1972年3月に新日本の旗揚げメンバーとして参加する。
1975年6月、海外修行のため藤波と西ドイツへ渡り8カ月間参戦した後、アメリカに渡り『プロレスの神様』であるカール・ゴッチからレスリング技術を学んだ。
しかし、その木戸が1980年代半ば、新日本を離れて旧UWFへ移籍した時には驚きの声があがった。当時の新日本は経営面で問題を抱えていたとはいえ、選手の待遇は非常に良かった。木戸自身も「いろいろとあったよ。会社の間題は。でも、俺には関係ないこと。きちんと、それなりのファイトマネーをもらっていたから。言い出せばきりはないけど、金銭面では文句はなかったし、自由にできていた。」と金銭面に不満はなかったと認めている。それでも移籍した理由について、木戸はあっさりと「UWFが好きだからではなかった。ゴッチさんが声をかけてくれたからだ」と語っている。
木戸にとってゴッチは特別な存在だった。日本プロレス時代から“プロレスの神様”と呼ばれたゴッチにストロングスタイルの真髄を叩き込まれ、その信頼関係は極めて深かった。多くのレスラーがゴッチ道場に入門したものの、ゴッチが「マイ・サン(私の息子)」と呼んだ日本人レスラーは木戸ただ一人だったと言われている。

#猪木 #長州力 #前田日明 #タイガーマスク #プロレス
【近くにいた...木戸修が語る不穏試合】 前田vsスーパータイガー 前田vsアンドレ 長州顔面蹴撃事件  #猪木 #長州力 #前田日明 #タイガーマスク #プロレス