古典邦画集PD

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浪華悲歌  1936年製作   監督 溝口健二   出演者 山田五十鈴 浅香新八郎 進藤英太郎 志村喬

動画タイプ
一般
公開日時
2026年3月12日 05:26
動画長さ
1:11:33
再生回数
1803
高評価数
46
コメント数
-
エンゲージメント率
2.6%
データ確認日時
2026年3月18日 06:20

動画概要

浪華悲歌  1936年製作
監督 溝口健二
出演者 山田五十鈴 浅香新八郎 進藤英太郎 志村喬


Filmarksに投稿された感想・評価

溝口健二監督の初期の代表作のひとつで、山田五十鈴が演技派女優としての才能を開花させるきっかけとなった女性ドラマ。大阪の薬種問屋の電話交換手として働くアヤ子は、会社の金を使い込んで多額の借金を抱えた父のため、職場の店主の愛人になる。続いてアヤ子は学費が払えない兄のために株屋から金をだまし取ろうとするが、警察に捕まってしまう。ようやく釈放されて家に帰ったアヤ子に、家族は冷たく当たるのだった。
社会の底辺に生きる女性の悲哀を数多く描いた監督・溝口健二と脚本家・依田義賢の初コンビ作。この「浪華悲歌」と先日鑑賞した「祇園の姉妹」は、共に第一映画社が1936年に製作した関西を舞台とする現代劇であり、どちらも勝気な主人公に山田五十鈴、その相手役に梅村蓉子が配されていることから、個人的には二部作と考えて好いようにも感じられる
颯爽とした粋な男がひとりも出てこないのは、或る意味溝口の映画らしい。会社の金を横領した父と大学の学費を滞納した兄は、家出したヒロインが金を工面したお陰で難を逃れたにもかかわらず、その方法が世間に顔向け出来ぬ遣り方であったがために我が家を唯一の拠り所として求めた彼女を冷たく突き放す。安っぽいヒューマニズムに流れるのではなく、あくまでもリアリズムに徹するところが亦、溝口らしい。青春期特有の鬱屈した気持ちを表現した内容は、一世紀近く経過した今観ても全く古びておらず新鮮にすら思える。不良と呼ばれた娘が経験するエレジーは決して過去の話ではない
~評価~
〔演出〕★★★
〔脚本〕★★★
〔撮影〕★★☆
〔音楽〕★☆☆
〔配役〕★★★
〔総合〕★★★★★★★★☆☆
DVD特典に収録された新藤兼人の言葉によれば、東京を中心にしていた1930年代当時の日本映画界において、大阪でロケを行い、全編で方言を用いた本作はかなり画期的だったそうだ
・・・
女が強くなる時は、いつも悲劇を湛えていた。
名作と呼ばれる作品の殆どは、人々の共感や同情を誘う、悲劇や哀情を含んでいる。本作にも当然そのような悲しみを抱えた人間が登場するが、作品の雰囲気に反して、存外その性質が表に押し出されてはいなかった。
悲劇と喜劇の顔を合わせ持つと銘打っていることもあってか、淡白に笑いを誘う場面もしばしば見受けられる。そういった感覚を麻痺させる細かい刺激が、社会や集団から排斥される女の苦悩すらも、鈍く伝わるように誘導していた。
廊下や、路地や、橋の上。
女が歩く道は途絶えることなく、延々と続くように感じる。
彼女にとってそれは、共謀ではなく協調。
駆け落ちではなく、愛を確かめたい乙女の祈り。
そんな願いや焦燥は、男の冷徹な危機回避によって、いとも容易く砕け散る。
アヤ子の女としての矜持と祈りが混濁した態度は、劇中を一貫して強烈に、そして儚く、画面いっぱいに咲き乱れる。
そんな彼女の最も強烈な表情が、彼女にとっての最大の悲劇が襲う瞬間に現れた。
メインのビジュアルにも用いられたその場面は、全ての挫折を通り過ぎた果てで、想像以上の哀情を醸し出していた。
この女に幸せは訪れるのだろうか。女の不幸に、終わりはあるのだろうか。言葉以上に容姿に滲み出た、乙女のえれじいの静かな迷い。
・・・
溝口による山田五十鈴の演出。カメラの動きもカッコイイ。
やはり日本映画は「橋」で物語らねばならない。
・・・
最後の歩き出しの速さにビビった。タメとかないのかっけえ。撮影の陰影のつけ方もイケてる。
・・・
私は、生きてはいけないのですか。みんなで少しずつ痛みを分ければ、1番傷は浅くて済むのに、なんであんたら、それが嫌なの。嫌なら嫌と、わからんならわからんと、言うてくれればいいのに、最初いい顔、急にしかめ面。そんな中でどう生きていけと言うの。
わかってるわよ。私はわがまま。けれどあなたもあなたもそうでしょう。私はフラットに見ているだけよ。だって、フラットなんだから。いいじゃない、少しだけ。
私じゃなくても、どうせ誰かに傷つけられる。私は、そうだと、思ったわ。あなたに会った時も、そっちのあなたに会った時も。ここが、果てて、1番のベター。ちちんぷいぷい。それが今では、こんなんか。
夜景はいつでも輝いている。電気が切れたら、すぐ交換。いつでも、あなたの次がいる。私も、そうね。
けれど、あの電気は眩しすぎなくて、冷たくなくて、好きだった。
・・・
女性の自立を描いていると言われているけれど、どちらかと言うと、女性の弱さや諦観を描いている気が。山田五十鈴の役どころも、父親の横領事件をきっかけに社会的に落ちていく女性、というもの。が、そこはベルさんだけあって一筋縄ではいかなくて、歯に衣着せぬ物言い、何事も恐れない度胸の据わりっぷりが天晴れの一言。だからこそ誤解もされやすく、周りに理解してもらえないことが不憫でならない。中でも、アヤ子の家族の他力本願さがあまりに酷すぎる。こんな家族を守る必要があったのか、本当のことを話して逆にアヤ子から家族を見限っても良いのでないか、とついつい思ってしまう。それでも、彼女が言い訳や弁解をすることはなく、不必要なまでに心根が男前。ラストでアヤ子が帽子の鍔を下げた時、さすがの彼女も泣いているのかと思ったけれど、彼女の目は真っ直ぐに前を見据えていて心が救われた。
・・・
山田五十鈴の演技、目力、関西弁、どれをとっても素晴らしい。この映画の女性たちの関西弁の力強さというか豊かさは大変興味深い。メロドラマと称してひたすらヒロインが可哀想に見えてくる毎度お馴染みのあれですね。
ラストの横移動からの正面クローズアップ。なんてシンプルでなんて効果的。クソデカため息が出てしまった。溝口健二は今年は後神保町シアターで『残菊物語』を見れる。ああ幸せ
光の中に現れる人の影、あぁ映画とは光ではなく影のことを言うのかと悟った
浪華悲歌  1936年製作   監督 溝口健二   出演者 山田五十鈴 浅香新八郎 進藤英太郎 志村喬