わかりやすく、戦国歴史

わかりやすく、戦国歴史

再生回数の多い動画(5/7 03:28)

  • 【中国地方の戦国時代の勢力変遷】「応仁の乱」から「備中・高松城の戦い」まで

    【中国地方の戦国時代の勢力変遷】「応仁の乱」から「備中・高松城の戦い」まで

    中国地方の戦国時代は、大内氏と尼子氏の2大勢力に挟まれた毛利氏が次第に勢力を増し、大内氏と尼子氏を滅ぼし、8ヶ国を有する戦国大名となります。そして、織田信長の命を受けた羽柴秀吉との「備中・高松城の戦い」に進んでいきました。■関連動画・毛利輝元(前編)    • 【毛利輝元(前編)】家督相続~備中・高松城の戦い(vs.羽柴秀吉)  ・毛利元就(前編)誕生~「吉田郡山城の戦い」    

  • 【安芸武田氏と若狭武田氏】甲斐武田の分流。安芸武田氏は毛利元就に、若狭武田氏は羽柴秀吉に滅ぼされる。

    【安芸武田氏と若狭武田氏】甲斐武田の分流。安芸武田氏は毛利元就に、若狭武田氏は羽柴秀吉に滅ぼされる。

    甲斐武田氏の分流である、安芸武田氏と若狭武田氏について解説します。武田氏は、清和天皇の流れをくむ源義光を始祖とする「甲斐源氏」が宗家です。武田氏7代当主・武田信武の子の武田信成が甲斐守護を、武田氏信が安芸守護を継承しました。この武田氏信が安芸武田氏の初代当主となります。安芸武田氏4代当主・武田信繁の子の若狭国守護に任じられ、若狭武田氏初代当主となります。■目次00:00 序00:2

  • 【上総武田氏の祖・武田信長と真里谷武田氏】甲斐武田氏の分流。

    【上総武田氏の祖・武田信長と真里谷武田氏】甲斐武田氏の分流。

    戦国時代、現在の千葉県の中央部を支配していた「上総武田氏」について解説します。甲斐源氏の一族「武田信長が、甲斐国での権力争いに敗れ、古河公方・足利成氏に仕え、成氏の命を受けて上総国へ進出しました。信長は、「庁南(長南)城」と「真里谷城」を築き、上総国を支配していきました。■目次00:00 序00:25 甲斐の争乱03:21 上総武田氏の祖05:53 小弓公方擁立と内紛08:47

  • 【関東戦国時代(安房里見編)】北条氏との戦い(鶴岡八幡宮の戦い~稲村の変~国府台合戦~三船山合戦)

    【関東戦国時代(安房里見編)】北条氏との戦い(鶴岡八幡宮の戦い~稲村の変~国府台合戦~三船山合戦)

    戦国時代、安房国(現在の千葉県の南部)を支配して、約50年にわたり北条氏と戦いを繰り広げた「安房里見氏」について解説します。■目次00:00 序00:12 安房里見氏の始まり02:31 鶴岡八幡宮の戦い05:21 稲村の変(天文の内訌)07:55 第一次国府台合戦10:43 第二次国府台合戦13:55 三船山合戦15:32 安房国没収 ■関連動画・関東戦国時代(1)戦乱の

  • 【三好三人衆】将軍・足利義輝を暗殺し実権を握ろうとするが、織田信長に阻まれ消えていく。

    【三好三人衆】将軍・足利義輝を暗殺し実権を握ろうとするが、織田信長に阻まれ消えていく。

    第二版。「三好三人衆」は、戦国時代に初めて「天下人」となった、三好長慶を支えた家臣の三好長逸、三好政康、岩成友通の3人をいいます。三好長慶が死亡すると、松永久秀とともに跡継ぎの「三好義継」を支えます。しかし、将軍・足利義輝を襲撃し殺害(永禄の変)し、三好家の実権を握ろうと松永久秀と対立していき、畿内は戦乱となっていきます。■目次00:00 序01:21 三好政権02:57 文禄の変

  • 【越前・朝倉氏】越前に入国~下剋上で戦国大名へ~一乗谷に栄華を築くが滅亡

    【越前・朝倉氏】越前に入国~下剋上で戦国大名へ~一乗谷に栄華を築くが滅亡

    越前朝倉氏は、南北朝時代に、「朝倉広景」が斯波氏に従い越前に入国したことから始まります。応仁の乱の際、「朝倉孝景」は西軍から東軍に寝返り、下剋上で斯波氏から越前を奪いました。その後、「朝倉宗滴」の活躍で有力な戦国大名になりますが、「朝倉義景」の時に、織田信長に滅ぼされました。■目次00:00 序00:35 越前朝倉氏の始まり03:41 最初の下剋上07:26 朝倉氏の全盛期10:

  • 【室町幕府・足利将軍】足利氏の始まり~15代将軍、個性的な将軍ばかり

    【室町幕府・足利将軍】足利氏の始まり~15代将軍、個性的な将軍ばかり

    室町時代は、1336年に足利尊氏が室町幕府を開いてから、1573年に足利義昭が織田信長に追放されるまでの237年間続きました。本動画では、室町幕府の15人の将軍について解説します。◆目次00:00 序01:20 初代・足利尊氏05:23 2代・足利義詮07:26 3代・足利義満10:47 4代・足利義持11:35 5代・足利義量12:12 6代・足利義教13:52 7代・足利

  • 【関東戦国時代(北条五代編)】後北条氏の始まり、伊豆討ち入り~小田原征伐まで

    【関東戦国時代(北条五代編)】後北条氏の始まり、伊豆討ち入り~小田原征伐まで

    関東一円に大勢力圏を築いた北条氏。その歴代5人の当主・北条五代は、北条早雲を初代とし、氏綱・氏康・氏政・氏直です。北条早雲は生前、「北条」と名乗ったことはなく、子の「氏綱」が「北条氏綱」と名乗ったため、のちに「北条早雲」と呼ばれるようになりました。近年では「北条早雲」を「伊勢宗瑞」とも呼ばれています。■目次00:00 序00:35 早雲の出自02:12 北条早雲05:49 北条

  • 【関東戦国時代(太田道灌編)】享徳の乱と長尾景春の乱

    【関東戦国時代(太田道灌編)】享徳の乱と長尾景春の乱

    関東地方の戦国時代の始まりとされる「享徳の乱」、「長尾景春の乱」と、これら二つの乱で活躍した「太田道灌」について解説します。太田道灌は、扇谷上杉氏の家宰で、1457年に江戸城を築城した事が有名で、文武両道に優れた武将でした。しかし、主君に謀殺される悲劇の最期を遂げました。「享徳の乱」の28年の間に、関東管領や当主、家宰は以下のように交代しました。  関東管領  山内上杉氏・当主 上杉憲忠

  • 【菊池神社に祀られる菊池三代】「筑後川の戦い」で北朝勢力に勝利し、九州での南朝の支配の体勢を確立し、最盛期を築く

    【菊池神社に祀られる菊池三代】「筑後川の戦い」で北朝勢力に勝利し、九州での南朝の支配の体勢を確立し、最盛期を築く

    菊池武時、武重、武光は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍しました。特に、菊池武光は南朝方として、懐良親王と共に大宰府に入城し、ここに征西府として、九州支配の体勢を確立しました。「菊池神社」と「筑後川の戦い」に関連すると地名や史跡も紹介しています。12代・菊池武時13代・菊池武重15代・菊池武光◆目次00:00 序01:11 菊池武時02:52 菊池武重06:17 菊池